2005年12月10日

治験結果を知らせるか否か

以前、ホーライ製薬で治験の結果を、その治験に参加した方々に知らせるべきかどうか、ということを話題にしたことがある。

もう既に、全ての治験で希望者には知らせる旨を、治験参加の説明同意書に書いているという会社も有った。

今回は、この治験結果を被験者(治験参加者)の皆さんに伝えたほうがいいかどうかを考えてみたい。


まず、ここで検討する課題に関連する事項を明確にしておきたい。


【治験の結果知らせるPhase】

・治験の結果を知らせるPhaseは、Phase-1からPhase-3までとする。


【治験の結果とは】
・治験の結果とは次のことを指す。

(1)治験参加者に投与されたのあが、「実薬」(用量も)だったのか「プラセボ」だったのか
(2)治験参加者はCRF上では効果が有ると判断されたのか
(3)最終的に、その治験全体としてはどうだったのか?(次のPhaseに進むのか?)
(4)最後に、その治験薬はどうなるのか?(申請されたのか? 承認されたのか?)


【検討課題】

(1)参加者に知らせるとしたら、全員なのか、希望者だけなのか。それは、どこで判断するのか?

(2)お知らせする結果の範囲は?

(2)どうやって知らせるのか?

(3)誰が知らせるのか?

(4)そもそも、知らせていいのか? 

(5)知らせることの意義は? 

(6)知らせることで起こる問題は?


とりあえず、今回、話題にするのは以上までとする。


さて、まず最初に「知らせる」という仮定で話を進めて行こう。

まず、検討課題の(1)参加者に知らせるとしたら、全員なのか、希望者だけなのか。それは、どこで判断するのか? を考えたい。

これは、希望者だけでいいのではないか?
治験の結果は知りたくない人に、強制的に知らせるべきものでは無いと思う。
では、知りたいかどうかをどこで判断するのか?
もちろん、治験に参加するかどうかの同意説明文書に書いておき、同意書に(結果を知りたいですか? 1.はい  2.いいえ)と書いておけばいい。



さて、では治験参加者に「お知らせする結果の範囲は?」どこまでとするか?

まず、Phase-1からPhase-3までの共通項目として、少なくとも治験参加者に「何が投与されたか?」を教えることにしよう。

たとえば、Phase-1の場合は、プラセボだったのか、何mg錠だったのか、というように。

Phase-3の場合は、「治験薬」群だったのか「対照薬」群だったのか、をお知らせする。

取り合えず、治験参加者は何が自分に投与されたのか位は、知っておいてもらおうではないか。


次に、その結果だ。

これまた、Phase-1からPhase-3までの共通項目として「今回の治験の結果」だ。

まず、Phase-1の場合は、簡単にADMEについて、知らせてもいいと思う。(本人が理解できるかどうかは別として。でも、せっかくだから、理解できるように説明してあげたい。)

また、その結果、何が分かったのか? 最大投与量は、どうなったのか? 等だ。

そして、これらを受けて、次のステップへ進めることになったかどうか、次のステップでは、どのようなことを調べる予定なのか、あたりだろうか。

Phase-2とPhase-3では、治験参加者自身にとって、この治験薬が効いたのかどうか、も知らせてもいいだろう。

「プラセボだったから、どうでした」とか「何mgを使ってもらって、あなたはどうやら、少しは効いていたようだ。」とか「あなたは対照薬群で、効果が出ていましたね。」・・・・・・等だ。

さらに、「副作用」も知らせておく。

「有害事象」として、これとこれがありましたが、いずれも因果関係が否定できた(その根拠も)ので、あなたの場合は、副作用はありませんでした。

あるいは、「有害事象」として、これとこれがありました。そのうち、これは因果関係が否定できなかったので、「副作用」として取り扱われます。 

・・・・・・というようにだ。

ここまでは「個人情報」だ。(一部「これらを受けて、次のステップへ進めることになったかどうか、次のステップでは、どのようなことを調べる予定なのか」は違う。)

さて、では、「治験全体として」はどうだろう?


前述したが、今回の治験(治験参加者が参加した治験)の結果を受けて、次のステップへ進めることになったかどうか、次のステップでは、どのようなことを調べる予定なのか、を伝える。

Phase-3では「申請することになった」とか「申請できないようだ」ともなる。
その理由を伝えてもいいだろう。「効果が出なかった」とか「対照群との非劣性を証明できなかった」等ということを、治験参加者に理解できる言葉でお知らせする。

もし申請できなかったとしよう。すると予想される質問として「どうしてですか?」というのがある。
この質問が治験参加者から出たら、それも可能な限り、伝える。

このようなことを伝えていけばいくほど、一般市民の皆さんに、薬の開発ステップや治験の意義が伝わるのではないだろうか?

また、今ある薬に対しての信頼性も(或いは不信感かもしれないが)出てくるかもしれない。

いずれにしても、自分が参加した治験の結果、何がどうなったのかを知る権利が治験参加者には有るだろうと思う。

そして、最終的には「承認されました。」或いは、「審査の結果、承認されませんでした。」ということも伝えたい。

この時が、実は治験依頼者にとって、一番厳しいところかもしれない。

なぜならば、一度は、治験参加者に「申請することになった」という場合、それは当然、一般市民の患者さんにとっては「効果が有った」という理解になるからだ。

それなのに、審査過程で承認されなかったということは、「実は、効果が思ったほど良くなかった」とか、「一部、データが不足していた」とか、「治験の質が疑われた」というような理由が出てくるからだ。

しかし、ここで治験依頼者側から、承認されたかどうかを知らせなくても、一般市民も最終的には知ることになる。

そう、つまり、自分が参加していた治験薬が市販(使用)されれば、分かるし、いつまでたっても市販(使用)されないな、ということは分かるわけだ。


・・・・・・ということで、治験参加者にどこまで治験結果を知らせるかは、ここまでの検討とする。



さて、では知らせるとしたら、「どうやって知らせるのか?」「誰が知らせるのか?」を考えてみよう。

Phase-1からPhase-3までの個々の結果であれば、それぞれ担当した医師が知らせればいい。(治験事務局でもいい。)
知らせ方は書面でも、口頭でもいいだろう。 

郵送でもいい。

ただし、e-メールはまずいかもしれない。情報が他に漏れるかもしれないからだ。

・・・・・・と、実は、ここで「知らせるか否か」の検討で、ひとつの最大の障害である「治験結果」という「企業秘密」というのが出てくる。
出てくるが、これは、またあとで検討しよう。

治験の結果を知らせるための費用は、当然、治験依頼者だ。

承認されたかどうかを、Phase-1の人に教える時に、大変なのは時間がたっていて、知らせることが物理的に不可能になるかもしれないことだ。

長い治験だったら、Phase-1から承認まで5年以上かかることもある。
すると、治験参加者が引っ越したりして、連絡先が変わるだろう。
また、いちいち治験参加者が治験実施医療機関に、自分の転居先を知らせるのも面倒だ。

でも、もともと、今回の「治験結果を知らせるか否か」というのは、ここでは「義務」として、取り扱っているわけではない。
だから、知らせることができなくても、それは致し方ない、ということだろう。

もし、どうしても結果を知りたい治験参加者は、自分から進んで治験実施医療機関に、自分の転居先を知らせればいい。

インターネットで知らせるというのが、一番、手間も時間もお金もかからない方法だ。(治験全体の結果をね。)
ただし、誰もが見ることできるので、企業秘密が・・・・・・という話しにもなりかねない。

でも、今だって「投資家の皆様へ」というように、自社のサイト内で、治験の進捗状況を伝えているのだから、このあたりは、あまり大きな障壁にもならないだろう。

・・・・・・ということで、「どうやって知らせるのか?」「誰が知らせるのか?」もクリアしたことにしよう。(あまり詳細まで触れると何年もかかかるかもしれない。)



最後に、次の3点を検討しよう。

【検討課題】

(4)そもそも、治験の結果を知らせていいのか? 

(5)知らせることの意義は? 

(6)知らせることで起こる問題は?


まず、(4)そもそも、知らせていいのか? だ。

知らせると、なにか、まずいことが有るだろうか?

(1)自社の開発能力の低さが露呈してしまう?

(2)治験の結果を知らせたら、治験参加者が悪い印象を受けて、ますます治験に悪影響を与える?


え〜〜と・・・・・・(1)は放っておこう。

問題は、(2)の「治験参加者が悪い印象を受けて、ますます治験に悪影響を与えるかどうか」だ。

プラセボが使われることや、投与量がひとによって違うこと、予想される副作用等は、治験参加時に既に同意の説明文書内で知らせてある。

だから、僕にはどこにも、問題がないと思う。


次に「知らせることの意義は?」だ。

これは、まず治験参加者には知る権利があることを言いたい。
そんな権利なんて、どこにも無い、という意見もあるだろう。
医師や治験依頼者にも、知らせる義務は無いという意見もあるだろう。

そうです。そのとおりです。だから、こうして、今、僕は知らせるか否かを検討しているわけです。
知らせる義務が有るなら、検討する必要が無い。

まず、知らせたいという意志をもった企業がやればいい話だ。

さて、意義の話になるが、前に一部触れたが、「一般市民の皆さんに、薬の開発ステップや治験の意義が伝わるのではないだろうか?」というのが有る。

治験の結果を知らせるということは、治験の仕組みを伝えることに繋がる。

治験に参加する場合でも、事前に治験の意味や意義を同意説明文書で伝えているが、治験が終わったあとで、治験結果を伝えることによって、よりいっそう明確に伝わってくれるはずだ。

「治験の意義が伝わる」ということを、製薬会社は希望していたのではないだろうか?

新GCPが導入され、治験が空洞化したとき、盛んに「治験の意義・必要性」を、一般市民に伝えよう!と言っていたではないか。

それがまさに、行われるわけだ。
文句はあるまい。文句どころか、率先してやることだろう。違う?


 
最後に残った「知らせることで起こる問題は?」だが、これは、もう「そもそも、知らせていいのか?」で触れているので、ただ一点だけ言及するにとどめる。

ある病気があり、それは難病指定で、いまだに薬が無かったとしよう。
ところが、その薬の候補となる治験薬がでてきた。
しかし、治験を行った結果、効果が認められなかった場合、患者さんたちの失望感をどうするかだ。

これは、今後も、ずっと考えていかないといけない。
そして、その失望感を希望に繋げるのが、製薬企業の本来の仕事でもある。



「モニターの認定制度」については、以上。

posted by ホーライ at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 治験の問題点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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